結婚してから困るのは、料理が下手な人ではありません。
気が利かない人でもない。いちばん多いのは、こちらが「悪いところが見つからなかった」と言って選んだ相手です。
面談でこの言葉を聞くたび、私は少しだけ身構えます。減点するところがなかった。だから前に進めたい。理屈としては通っていますし、慎重に見た結果でもあるのでしょう。ただ、悪いところがないというのは、良いところがあるという意味ではありません。もっと言えば、相手について何かがわかったという意味ですらない。
この記事を読み終える頃には、三つのことがはっきりしているはずです。良さそうな人を前にしたとき、自分の判断がどこで止まっているのか。あのときよぎった違和感を、信じていいのか。そして、相手を試すような真似をせずに価値観を見るには、どの場面を待てばいいのか。
相手を疑うための記事ではありません。自分の目盛りを点検するための記事です。名古屋で恋愛相談を受けていると、後悔した方も、うまくいった方も、驚くほど同じ場所でつまずいたり救われたりしていることに気づきます。その分かれ目を、順番に見ていきます。
結婚してから困るのは、料理が下手な人ではありません
三十七歳の男性が、交際中の女性を実家に紹介したときの話をしてくれました。
母親に「どんな人なの」と聞かれて、彼はこう答えたそうです。家事は全部できる人だよ。仕事もしっかりしてる。うちの親にもきちんと挨拶できる人。並べているうちに、自分でもいい紹介ができていると思っていました。
そこで母親が返した一言が、彼の中に残りました。
「で、その人と何が楽しいの」
答えられなかったそうです。二人で行った場所は言える。食べたものも言える。ただ、何が楽しかったのかが出てこなかった。
ここで、少し自分に当てはめてみてください。あなたが交際相手を誰かに説明するとき、口から出てくるのは何でしょうか。仕事、家事、性格の良さ、条件。どれも嘘ではないはずです。ただ、それらは全部「その人が持っているもの」の話であって、「あなたとその人の間に起きたこと」ではありません。
これまでに受けてきた相談を振り返っても、交際が終わった方の面談記録に共通して出てくるのは、相手の説明が上手だったという点です。長所は淀みなく挙げられる。ところが、二人で過ごした時間の中身を聞くと、途端に言葉が減る。公的な統計があるわけではなく、あくまで相談記録を読み返しての傾向にすぎません。それでも、この形はかなり繰り返し現れます。
試しにやってみてほしいことがあります。ここ三か月で、その人と過ごしていて自分が声を出して笑った場面を、三つ挙げてみてください。
三つ出てくれば、たぶん大丈夫です。ひとつも出てこなくても、まだ相手が悪いと決まったわけではありません。ただ、こう考えてみることはできます。結婚生活で毎日繰り返されるのは、家事の腕でも年収でもなく、その「笑った場面」のほうです。年に数回の記念日より、火曜日の夜のほうが圧倒的に多い。
先ほどの三十七歳の男性は、母親の一言の後、彼女と過ごす時間の記録をつけ始めたそうです。何をしたかではなく、何を話したかを。三か月続けて、彼はこう言いました。書くことがない日が半分あった、と。それでも彼は別れませんでした。書くことがない日を減らすほうに動いた。半年後、二人は結婚しています。
説明のうまさは、相手を見た量ではなく、相手の情報を整理した量です。
説明できる長所ばかりが並ぶのは、あなたの見る目が悪いからではありません。人の判断が、そう作られているからです。
長所がひとつ見つかった瞬間、人は確かめるのをやめる
「悪いところがなかった」は、感想ではなく報告です
冒頭に書いた三十六歳の男性の話に戻ります。彼はお見合いの後の面談で、こう言いました。悪いところが見つからなかったので、進めたいです。
まじめな方でした。相手の話し方も、時間の使い方も、金銭感覚が出そうな場面も、きちんと見ようとしていた。その上で、引っかかるところがなかったと。
ただ、ここに落とし穴があります。減点がゼロなのは、高得点だという意味ではありません。情報がゼロだという意味です。
心理学に、ハロー効果と呼ばれる働きがあります。目立つ特徴がひとつあると、その人の他の部分まで同じ色に染まって見えてしまう。名づけたのはアメリカのニスベットとウィルソンという研究者で、一九七七年の実験がよく知られています。米国での研究なので、日本の婚活にそのまま当てはめるのは乱暴です。ただ、印象がひとりでに広がっていく感じそのものは、文化を越えて起きているように思います。
面白いのは、これが加点の側だけでなく減点の側でも起きることです。粗を探して見つからなかった。すると人は「粗がない人だ」と結論して、そこで観察を止めてしまう。探しにいったぶん、自分ではしっかり見たつもりになっているので、止まったことにも気づきません。
実際、その男性に「彼女はどんなときに笑っていましたか」と聞いてみたところ、しばらく黙ってから、笑っていた気がします、と答えました。九十分ずっと向かい合っていたのに、です。
誤解のないように書いておくと、彼のやり方が間違っていたわけではありません。むしろ、初対面で相手の粗を確認しようとするのは、まっとうな姿勢です。問題は、そこで得られる情報の種類にあります。粗を探して見つからなかったという結果は、「この人には粗がない」ではなく「今日の九十分では出なかった」までしか教えてくれない。九十分は、人が自分の良いところだけを見せていられる長さです。
減点方式のもうひとつの副作用は、記憶の残り方です。探していたものが見つからなかったとき、人はその時間をほとんど覚えていません。何もなかった、で処理されるからです。だから後になって「あの人、どんな人だったっけ」となる。加点で見ていた人のほうが、実は相手をよく覚えています。
会う人数が増えるほど、判定が早送りになる
四十五歳の男性が、一週間に五人と会った翌週のことです。面談での言葉が目に見えて短くなりました。三人目までは服装や話の内容を細かく話してくれていたのが、四人目からは「まあ普通でした」だけになる。
本人に自覚はありませんでした。疲れていたのはたしかですが、それ以上に、比べる作業そのものが人を大雑把にします。並べて選ぼうとすると、脳は違いの大きいところだけを見て、あとは省略しはじめる。
この方には、一週間に会うのは二人までにしましょう、とお伝えしました。効率は落ちます。それでも、三人目以降の相手にとっては、雑になった目で判定されるほうがよほど不公平です。実際、人数を絞ってから彼の面談での言葉は元の長さに戻りました。相手が変わったのではなく、見る側の解像度が戻っただけです。
たくさん会うほど目が肥えるのではなく、たくさん会うほど目が粗くなります。
だから、お見合いの帰り道にひとつだけやってみてほしいことがあります。相手が今日いちばん楽しそうだった瞬間を、思い出してみる。出てこなければ、それは相手のせいではなく、まだ見ていないというだけです。もう一度会えばいい。
では、あなたが一度だけ引っかかった、あの場面。あれは何だったのでしょうか。

あのときの「あれ?」を、あなたはどう処理しましたか
優しいのか、決められないのか
三十三歳の女性の相談です。交際して四か月ほど経った頃、彼女はこう言いました。
「すごく優しい人なんですけど、なんか疲れるんです」
詳しく聞くと、予定の相談をするたび、相手の男性は決まって「どっちでもいいよ」と返してくるのだそうです。店も、時間も、行き先も。彼女に合わせてくれている。最初は嬉しかった。
けれど、四か月続いたところで気づきました。この人は合わせてくれているのではなく、決めていないのだと。
ここが今回いちばんお伝えしたいところなのですが、違和感の多くは、悪い形ではなく良い形をして現れます。横柄だとか、時間にルーズだとか、そういう分かりやすいサインは誰でも気づく。厄介なのは、優しさ、控えめさ、穏やかさといった長所の顔をしてやってくるものです。長所の形をしているから、引っかかった自分のほうがおかしいと感じてしまう。
長所の顔をした違和感には、いくつか型があります。よく見るのは三つ。
ひとつめが、さっきの「優しさ」。合わせてくれているのか、決めていないのか。ふたつめが「控えめ」。遠慮しているのか、そもそも要望がないのか。みっつめが「穏やか」。怒らない人なのか、感情を出さない人なのか。どれも前半なら長所ですが、後半だと、結婚してから毎日じわじわ効いてきます。
厄介なのは、この見分けが一回の場面ではつかないことです。一度「どっちでもいいよ」と言われただけなら、ただ気を遣ってくれただけかもしれない。三回、四回と続いて、はじめて形が見えてくる。
人は、一度下した判断を守ろうとします。この人は良い人だと決めたら、それに合う情報ばかり拾い、合わない情報は無意識に落としていく。心理学では確証バイアスと呼ばれますが、要は、自分が間違っていたと認めたくないだけの話です。
ここまで読んで、じゃあ相手を疑えということかと思った方もいるはずです。逆です。
疑わなくていい。良いと思ったなら、思っていていい。やってほしいのは、引っかかった瞬間を消さずに置いておくことだけです。判定も結論もいりません。ただ、なかったことにしない。
置いておくのが難しければ、質問の形に変えてしまうのがおすすめです。「どっちでもいいよ」が三回続いたら、次に「私が決めていい? それとも、決めるのちょっと苦手だったりする?」と聞いてみる。責める形にせず、事実だけを確かめる形にする。それで気を悪くする方なら、それはそれで大事な情報です。
先ほどの女性は、その後どうしたか。相手に「決めてほしい」と伝えました。すると彼は、決めるのが怖かったと打ち明けたそうです。前の交際で、自分が決めたことを何度も否定された経験があった。二人はいま、真剣交際に進んでいます。違和感に気づいたから終わったのではなく、気づいたから話せたという順番でした。
気になったことを覚えていられたとして、次はもっと厄介な問題がやってきます。その気になったこと、直るものですか。
直る欠点と、直らない違いを混ぜていませんか
三十四歳の男性が、結婚十年目に振り返って教えてくれた話があります。
交際中、奥さんの遅刻癖がどうしても気になっていたそうです。十分、十五分は当たり前。何度か言い合いにもなった。結婚を迷った理由も、正直そこだった。
その遅刻癖は、結婚してから二年ほどで直りました。子どもが生まれたら、むしろ彼より早く準備を終えるようになったと。
一方で、当時まったく気にしていなかったことが、十年経っても変わりませんでした。休日の過ごし方です。彼は家で本を読んでいたい人で、奥さんは誰かに会いに行きたい人だった。交際中は「まあ、そういう違いもあるよね」で流していた。いまは互いに一日を分けて過ごしているそうで、それで落ち着いてはいるものの、そこに至るまでには何年もかかったと言っていました。
多くの人は、直るほうを理由に断り、直らないほうには目をつぶっています。
習慣や技術は、環境が変われば動きます。片づけが苦手だった方が変わるのも、人前で話せなかった方が変わるのも、何度も見てきました。動かないのは、何を優先して生きるかのほうです。休みの日を誰と過ごしたいか。しんどいときに何を頼るか。認められることと、身近な人に喜ばれること、どちらで満たされるか。ここは、こちらが願っても動きません。
頭では人柄と答えるのに、選ぶときは条件で動く
不思議なのは、多くの人がそれを頭ではわかっている点です。
国立社会保障・人口問題研究所の「第16回出生動向基本調査」を見てみます。2021年6月に実施され、2022年9月に結果概要が公表された調査で、独身者調査の有効票数は7,826票。結婚相手に求める条件として重視されているのは、男女とも「人柄」「家事・育児の能力や姿勢」「仕事への理解」でした。人柄が上位に来ています。
そして、条件の中身は前回調査から動いていました。
この表でわかるのは、相手に求めるものが数年単位で入れ替わっているという事実です。
| 項目 | 前回調査 | 今回調査(2021年) |
|---|---|---|
| 男性が女性の「経済力」を重視・考慮 | 41.9% | 48.2% |
| 女性が男性の「家事・育児の能力や姿勢」を重視 | 57.7% | 70.2% |
出典:国立社会保障・人口問題研究所「第16回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」2021年6月調査・2022年9月結果概要公表(独身者調査 有効票数 n=7,826)
女性側の伸びは12.5ポイント。ちょうど八人にひとりぶんが、前回はそこを見ていなかったのに、今回は見るようになった計算です。男性側も6.3ポイント動いていますが、幅としては女性側の半分ほど。
ここで言いたいのは、条件を上げろということではありません。逆です。条件の中身は数年で入れ替わるのに、人柄が上位に来る点だけはどの回でも動いていない。変わりやすいものを一生懸命チェックして、変わらないもののほうを見ていないとしたら、順番が逆さまです。
だから今日、交際中の方にひとつだけ試してほしいことがあります。相手について気になっていることを紙に書き出して、それぞれの横に「直りそう」「たぶん直らない」と書き添えてみる。断る理由に使っていたものが、実は前者だったと気づく方は少なくありません。
直らない違いは、条件表には載っていません。では、どこに出るのでしょうか。
価値観は、うまくいかなかった日にだけ顔を出す
先に、よくある失敗をひとつ。
価値観を確かめようとして、長文のLINEを送ってしまう方がいます。四十一歳の男性がまさにそうで、交際二か月の相手に、子どものこと、住む場所のこと、親のこと、仕事のことを一度に書いて送りました。真剣だったからこそです。返ってきたのは、二日後の「ちょっと考えさせてください」でした。
価値観は、聞き出すものではありません。放っておいても向こうから出てきます。出てくる場面が決まっているので、そこを待てばいい。
なぜ場面を待つほうがいいのか。質問には、相手が「良い答え」を用意できてしまうからです。子どもは欲しいかと聞かれれば、たいていの人は場に合う答えを返します。嘘をつく気がなくてもそうなる。ところが、予定が崩れた瞬間の第一声は用意できません。用意する時間がないから、そのまま出る。
見るべき場面は、三つで足ります。
予定が壊れた日
四十歳の男性が、お盆の帰省を台風で飛ばされたときの話です。飛行機が欠航になり、二人で行くはずだった彼の実家に行けなくなった。
そのとき相手が最初に言ったのが、これでした。
「じゃあ、お義母さんに電話だけしよっか」
予定が惜しいのではなく、その予定の先にいる人のことを言った。彼はそれで決めたそうです。
もし彼女が「せっかく休み取ったのに」と言っていたとしても、それが悪いわけではありません。がっかりするのは自然です。見ているのは良し悪しではなく、向きのほう。惜しかったのは予定なのか、人なのか。そこだけです。
うまくいっている日は、誰でも優しい。だから判断材料になりません。崩れた日にだけ、その人が何のためにそこにいたのかが出ます。
あなたが弱っている日
四十三歳の男性が、ぎっくり腰で動けなくなった日のこと。連絡を受けた相手の女性は、部屋に来て、シンクにたまっていた洗い物だけを片づけて、三十分ほどで帰っていったそうです。
何をしてくれたか、ではありませんでした。彼が挙げたのは、何も聞かれなかったことです。大丈夫かとも、どうしたのかとも聞かれなかった。話さなくて済んだ。
人は、何かをしてもらった記憶より、要求を下げてもらった記憶のほうを深く残します。説明しなくていい。いつも通りじゃなくていい。そう扱われた瞬間、はじめて「ここにいていいのか」を確かめずに済むようになる。安心というのは、良くしてもらうことではなく、確かめなくてよくなることなんだと思います。
元気なあなたと過ごすのは誰でも楽しい。見るべきはその逆側で、しかも結婚してからの数十年は、正直こちらの場面のほうが多く訪れます。
お金と時間が向いている先
三十一歳の女性が、交際相手に「直近三回の休みは何してた?」と軽く聞いてみたそうです。深い質問には聞こえません。ところが返ってきた三つを並べると、その人が何に時間を使いたい人なのかが、驚くほどはっきり出たと言っていました。
何にお金をかけ、何に時間を割いているか。これは「何を大切にして生きているか」のいちばん正直な答えです。批判はいりません。趣味に注ぐ人も、こつこつ貯める人も、どちらが正しいという話ではないので。確かめたいのは、向きが揃っているかだけ。
ちなみにこの女性の場合、三回とも「誰かと会っていた」でした。彼女自身は家で過ごすのが好きな人です。それで別れたかというと、別れていません。休日は別々に過ごして、夜だけ合流する形にしたそうです。向きが違うとわかったから、合わせ方を決められた。先に知っていれば、違いは調整の対象になります。後から知ると、裏切られた話になる。差はそこだけです。
三つとも、こちらから仕掛ける必要はありません。付き合っていれば、そのうち全部やってきます。焦らなくて大丈夫です。半年もあれば、たいてい一度は通ります。
三つとも通って、それでも決めきれない方へ。最後にひとつだけ、その前に見ておいたほうがいいものがあります。
合うかどうかより先に、合わないと言えるかどうか

三十九歳の男性が、真剣交際の途中でずっと言えなかったことがありました。実家の近くに住みたい、という一言です。
親が高齢で、ひとりになる時期が近い。本人の中では決まっていました。それでも言えないまま話が進み、成婚退会をして、式場を押さえた後になって切り出した。相手は当然、驚きました。話し合いは長引き、関係はかなり揺れたそうです。
あとで理由を聞くと、彼はこう言いました。
「相手が怖かったわけじゃないんです。せっかくうまくいってるのに、自分で壊すのが嫌で」
この感覚、身に覚えのある方は多いはずです。うまくいっているときほど、言えなくなる。
そして、言えなくなるのは一日では起きません。三段階で進みます。

一段階目は、言ってみる時期です。実家の近くに住みたい、と口に出す。相手の顔が少し曇る。それだけで、次から慎重になります。
二段階目は、言い方を探す時期。「まあ、いずれはね」「そのうち考えよう」と、角の立たない形に丸めて出す。本人としては伝えたつもりです。ところが丸めた分だけ、相手には届いていません。ここで多くの人が、伝えた/伝わっていないのすれ違いを作ります。
三段階目が、言わなくなる時期。ここで消えるのは我慢ではなく、言う理由のほうです。言っても変わらなかった経験が積み上がると、そもそも言おうという発想が浮かばなくなる。
この三段階目の人は、不満そうに見えません。むしろ穏やかに見える。だから外から見ていると、うまくいっている二人にしか映らないんです。
以前、招かれたお宅で似た場面を見たことがあります。奥さんが料理の写真を撮り終えるまで、ご主人が箸を持たずに待っていた。私が気になったのは待っていたことではなく、彼が「先に食べていい?」と一度も聞かなかったことでした。困った顔もしない。慣れている。この家では、待つのが当たり前になっていたのだと思います。
これまでの相談を振り返っても、真剣交際まで進みながら終わったケースで語られるのは、決定的な出来事ではありません。言えなかったことが説明できないほど積み重なった、という形がほとんどです。件数を集計した統計ではなく、相談記録を読み返しての傾向にすぎません。それでも、この順番はあまり変わらない。
穏やかな関係と、言うのをあきらめた関係は、外から見ると同じ顔をしています。
では、どうすれば言えるのか。ひとつだけ、現場でよく効くやり方があります。結論ではなく、事情のほうから出すことです。
実家の近くに住みたい、は結論です。これを先に出すと、相手は賛成か反対かを迫られる。そうではなく、親がひとりになる時期が近くて気になっている、と事情だけを先に置く。相手はそこに反対しようがないので、一緒に考える側に回れます。順番を変えるだけで、要求が相談に変わる。
合わない部分があること自体は、問題ではありません。誰と一緒になっても、どこかしら出てきます。問われているのは、その差をテーブルに出せる相手かどうか。先ほどの男性は、揉めはしたものの、いまは奥さんと実家の近くに住んでいます。言うのが遅かっただけで、言えない人ではなかった。それが分かれ目でした。
金婚式の奥さんが言った「特にないのよ」の意味
最後に、ひとつだけ。
結婚五十年を迎えるご夫婦にお会いする機会があって、奥さんに聞いてみたことがあります。ご主人のどこが良かったんですか、と。
返ってきたのは、これでした。
「特にないのよ」
笑いながらです。隣でご主人も笑っていました。私は最初、謙遜だと思いました。でも、そうではなかった。しばらく話しているうちに、こういうことかと思い当たりました。
選んだ理由というのは、覚えている間はまだ「理由が必要な関係」なのだと思います。料理が上手だから。優しいから。条件が合ったから。理由がはっきりしているうちは、その理由が消えたときにどうするかという問いが、どこかに残り続ける。
五十年経ったご夫婦は、そこを通り過ぎていました。理由がなくても一緒にいる状態まで来ると、理由のほうは要らなくなって、忘れてしまう。「特にないのよ」は、何もなかったという意味ではなく、もう数えなくてよくなったという意味だったのでしょう。
帰り際、ご主人が湯呑みを二つ並べているのを見ました。奥さんが立ち上がる前に、もう並んでいた。言われて動いたのでもなく、気を利かせた顔をするでもなく。五十年ぶんの、ただの手順として。
数えている時期の関係と、数え終わった関係の違いは、たぶんああいうところに出るのだと思います。
長く続いた人ほど、選んだ理由を思い出せません。それは忘れたのではなく、要らなくなったからです。
だから、いま相手の良いところを一生懸命数えている方は、間違っていません。数える時期だからです。ただ、数えたものが全部消えても隣にいられるかどうか。そこだけは、数え終わったあとに一度考えてみてほしいと思います。
ここまで読んで、自分は見る目がなかったと落ち込んだ方がいたら、それは違います。悪いところを探して見つからなければ良しとするのは、慎重な人ほど陥る形です。慎重さは結婚生活では武器になります。必要なのは性格を変えることではなく、探す方向を減点から時間の中身に移すこと。それだけ。
それに、言えないまま抱えた経験がある方ほど、次はうまくいきます。飲み込んだ記憶がある人は、次に同じ感覚が来たときに気づけるからです。あ、これだ、と。
今日から始められることを、ひとつだけ挙げるとすれば。次に相手と会った帰り道に、その人が今日いちばん自然に笑った瞬間を思い出してみてください。それだけです。長所を数え直す必要はありません。数えるのをやめて、思い出すほうに切り替える。それだけで、見えるものがずいぶん変わります。
お盆が明けて、実家から戻る電車の中でこれを読んでいる方もいるかもしれません。親に何か言われた方も、何も言われなかった方も。焦らなくて大丈夫です。急いで数えた結果より、ゆっくり思い出した結果のほうが、たいてい長持ちします。
数えなくてよくなる相手に、いつか出会えますように。
参考・出典
- 国立社会保障・人口問題研究所「第16回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)」2021年6月調査/2022年9月結果概要公表/独身者調査 有効票数 n=7,826 調査結果を見る
- Nisbett, R. E. & Wilson, T. D.「The halo effect: Evidence for unconscious alteration of judgments」Journal of Personality and Social Psychology, 1977年(本文では数値を引用していません)





